『ノルウェイの森』を読んでいたアザラシ
読書録と銘打っておきながらも、読むぜ!という内容の記事しかないのは少し寂しいので、昔のノートに書いてあった読書感想文らしきものを載せてみようと思う!
正直、いつ『ノルウェイの森』を読破したのか覚えていないのだけど、
わざわざノートに感想を書き付けているということは、それなりに感動していたのだろう・・・!
あらすじは
で確認してくれ!
内容は微かにしか覚えていないから他人任せだ・・・!!
感想文を書く資格があるのか非常に際どいところだが、書いちゃうぜ!!
ワタナベくんが文章で直子さんを回想するのは、手紙を書いていたときの延長だ。
彼は書くことによってしか救われない。書くことによって他者からの裁きを得ようとしているのだ。ドストエフスキーの『未成年』における主人公のように。だから直子さんの死の責任は自分にあるかのように見せるために、彼は人をイラつかせる書き方をしている。この空っぽさは計算されたものだ。無意識のうちに。
こういうことをするワタナベくんは、たぶん狂っているのだと思う。
彼が狂気に侵され始めたのは1969年の11月からだ。このとき彼は緑さんにはじめて電話をした。これ以後、彼はノルウェイの森を聞くたびに、『手紙』つまり直子さんを巡る物語を書き、街に出て、公衆電話に入り、緑さんへと電話をかけているのだ。だからこのバージョン、飛行機機内から始まるこのバージョンでは、1987年のハンブルクの街中で話が終わっている。
そうだ。この最後のシーンは1969年に行なわれたことではない。この語りはいくども繰り返されているのだ。差し挟まれるアスタリスクがこの解釈を可能とする。
緑さんの電話先での反応もこの解釈を支持してくれるかもしれない。
「あなた、今どこにいるの?」
この問いかけは現状を確認することを促す。自己の客体化を要求する問いかけである。
ワタナベくんはどこにいるのか?
ワタナベくんはこの問いに答えられない。このとき彼は正気へと戻るからだ。その衝撃が彼を世界から後退させるのだ。最後のシーン、彼は人々を見るが意味を得ること出来ないでいる。なぜだろうか。それまでの語りの中では、彼は上野にいた。だが、実際に見える風景はハンブルクの雑踏だったからだ。
このとき彼はすべてを理解し、ある意味での浄化を受けて日常へと回帰する。
こうして彼の中でノルウェイの森が鳴り止む。
物語はここで終わらなければならない。
?!?!?!
入力していて、これ意味わかんねえなと思ったけど、載せちゃうぜ!
かなりうがった誤読をしている感がアリアリだけど…
内容をほぼ覚えていないので、否定も肯定も出来ない!!!
だけど、たぶん読んでいて純粋にイラついたんだろう…!
そこの生々しい感情はなんとなく覚えている!
そのうえでここまで考察しちゃっているのは、よほど面白かったんだろう…
ワタナベくんにイライラするけど、気になって続きを読んじゃう…悔しいぃ……!っていう感じの小説だったに違いない!
そんな『ノルウェイの森』、読んでみてもいいかも…?!
ついでに積読リストには
も入っている!!
とりあえず『人間』を読んでから、読むことにしよう…
『人間』、読み終わるか謎だけど…
(ω・ミэ )Э
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